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京畿道の歴史
京畿道では、韓半島を横切って流れる漢江流域に、旧石器時代から部族国家が形成されていました。

BC.75年 辰国が三国に分離され、漢江以南地域まで勢力を及ぼした馬韓と辰韓の地になった京畿道は、政治的には月支国の盟主である辰王の支配下にあった。
BC.18年 百済の始祖温祚王が広州を都として百済を建国して以来、400年間百済の領地になった。
AD.405年 高句麗の第19代広開土大王の永楽6!)14年、高句麗は百済征服に出かけ、大房水域(京畿と黄海)で海軍を撃破して西海の海上権を掌握。南下して壬辰、漢江の両流域一帯を占領した。高句麗と百済両国間の紛争地となっていたところ、遂に新羅が三国を統一するようになる。
757年 新羅の第35代景徳王16年の時、唐の制度をモデルに全国9州制を実施した時、一つの州に属した。高麗第6代成宗王の時代に、全国10道制を実施して関内道となる。
1029年 高麗第8代燎宗王の時、楊広道に改称され、開城及び近隣13県を中央直轄にして京畿道と称した。その後、高麗第34代恭譲王の時に、京畿右道、京畿左道の両道に分割された。
1402年 朝鮮は第3代太宗王の時、全国8道制を実施して京畿道と称した。
現在のソウル特別市の近隣はこれを漢城府と名付けて中央直轄にした。
1895.5.26 8道制廃止。23部制実施によって漢城、仁川、開城の3部になる。
1896.8.4 13道制実施によって京畿道復活。(3部34郡)
1910年 道庁を水原から京城部(ソウル)に移転、中央直轄だった漢城府を京城部に改称し、京畿道に編入する(韓日併合)。
1945.8.15 8.15解放
1960年代 道庁庁舎移転(ソウル→水原現在の位置)
1970年代 6市 4区 18郡 14邑 180面
1980年代 18市 18郡 30邑 155面に行政区画変更
1990年代 23市 8郡に行政区画変更
2000年 江原道鉄原郡東松邑上路里の一部を、京畿道抱川郡抱川邑に境界調整。京畿道抱川郡官仁邑炭洞里の一部を江原道鉄原郡に境界調整。
2001年 華城郡を華城市に、広州郡を広州市に昇格(25市・6郡)
2002. 4. 1 始興市条例第694号(2002. 3. 2公布)により、正往(ジョンワン)1・2洞を正往1・2・3・4洞に分離。その後、坡州市条例第435号(2002. 4. 1 公布)により、交河面を交河邑に、條里面を條里邑に昇格
2000.11. 1 安山市条例第1027号(2002. 10. 1 公布)により、常録区と檀園区を設置
2002.11. 5 平澤市条例第585号(2002. 11. 5 公布)により、安仲面を安仲邑に昇格
2003.6. 14 華城市(ファソン市)条例第235号(2003.06.04)により雨汀面(ウジョン面)を雨汀邑へ昇格
2003.10. 19 法律第6928号(2003.7.18公布)により抱川郡(ポチョン郡)を抱川市へ、楊州郡(ヤンジュ郡)を楊州市へ昇格(27市4郡15区)
2003.11. 24 水原市(スウォン市)条例第2456号(2003.11.8公布)により霊通区(ヨントン区)設置(27市4郡16区)
2004.1. 2 金浦市(キンポ市)条例第468号(2003.12.30公布)により通津面(トンジン面)を通津邑へ昇格
2004.6. 21 廣州市(クヮンジュ市)条例第106号(2004.6.7公布)により草月面(チョウォル面)を草月邑へ、実村面(シルチョン面)を実村邑へ昇格
2004.12. 1 加平郡(カピョン郡)条例第1818号(2004.11.25公布)により外西面(ウェソ面)を清平面(チョンピョン面)に名称変更